井上靖文学碑

碑文

「人間が造った古い歴史と文化の町を、自然が造った大山脈、小山脈が取り巻いている。
 冬になると山脈という山脈は雪に覆われ、町は隅々まで、飛騨の貎(かお)を持ち、優しい人情に鏤(ちりば)められる。
 日本列島のほぼ中央に位置し、フンザ・ギルギッドと竝ぶ世界の山の町・高山。
 登山家の背の美しく見える、静かな山の町・高山。」

説明

 碑文は、原稿用紙に、直筆の碑のために書かれた詩である。平成2年(1990)10月10日発刊された生前の最後の詩集『星闌干』の最後に収録されている。
 (社)高山市文化協会の理事であった浅井通生氏が、沼津中学の同窓であったことから話が進んだ。風化しにくい石で、彫刻家の船越保武氏のデザインでという条件で金沢や天龍峡の碑を現地調査し、これを参考に建設した。
 平成元年(1989)10月、建設予定地を視察された井上夫妻は、代表作『氷壁』の舞台、北アルプスを望む現地に大変喜ばれた。除幕は、井上靖と小鳥会長(当時副会長)が行い、碑の前で自身の詩を力強く朗読された。

人物

【井上靖(いのうえやすし)】
 明治40年(1907)5月6日生~平成3年(1991)1月29日没
 小説家、詩人。文化功労者、文化勲章受章。北海道旭川町(現・旭川市)生まれ。昭和5年(1930)金沢市の第四高等学校理科卒。
 井上泰のペンネームで北陸四県の詩人が拠った誌雑誌『日本海詩人』に投稿、詩活動に入る。昭和7年(1932)九州帝国大学法文学部中退。京都帝国大学文学部哲学科へ入学、昭和11年(1936)京都帝大卒業後、『サンデー毎日』の懸賞小説で入選(千葉亀雄賞)し、それが縁で毎日新聞大阪本社へ入社。学芸部に配属される。なお部下に山崎豊子がいた。
 昭和25年(1950)『闘牛』で第22回芥川賞を受章。昭和39年(1964)日本芸術院会員となる。昭和51年(1976)、文化勲章受章。昭和57年(1982)以降、世界平和アピール七人委員会の委員を務める。