江馬修文学碑

碑文

「歴史の本舞台からすっかりおき去(ざ)りに
 され、日本でもまれな奥ふかい山国のま
 ん中にすてられた孤兒のように三百年も
 知られない、ひそかな存在をつづけてき
 た城下町の高山は、折から暗い、あつひ
 もやと雪に蔽われて、音もなく、深い眠
 りの中にあった。(山の民より)」

説明

 昭和49年(1947)、西之一色町の「飛騨民俗館」から新しく設置される「飛騨の里」の間の約650mを小径で結ぶことなり、その小径を「文学散歩道」と位置付けて、郷土出身の作家たちの文学碑を設置することとなった。
 江馬修の「山の民」は、明治維新後の、梅村騒動を描いたもので、作家の大岡昇平は「(前略)歴史の「自然」を破壊せずにその中の劇的な契機を取り出すという方向において最高の成果を収めている・・・・・」と作品を評している。
 郷土の江馬修の功績を讃えて、社団法人高山市文化協会は、この地に文学碑を建設した。

人物

【江馬修(えまなかし)】
 明治22年(1889)12月12日生~昭和50年(1975)1月23日没
 小説家。高山町空町生まれ。地役人・江馬弥平の四男。
 斐太中学を中退し上京。神田区役所に勤める傍ら田山花袋の門に入り、自然主義文学に取り組んだ。明治44年(1911)に処女作の短篇『酒』で文壇デビュー。大正5年(1916)ヒューマニズムを基調とした長編『受難者』がベストセラー。
 関東大震災を体験して社会主義に関心を持ち、マルクス主義に入っていき、大正15年(1926)に日本プロレタリア作家同盟参加、中央委員を務め、全日本無産者芸術連盟機関誌『戦旗』編集委員となった。後に、思想弾圧が強まったため飛騨へ帰り、雑誌『ひだびと』の編集に携わる傍ら、代表作となる長編『山の民』を執筆。
 昭和16年(1941)には角竹喜登らと飛騨文化連盟を結成。戦後は再び上京し「人民文学」の創刊に参加。「アカハタ」に『本郷村善九郎』などを発表。