福田夕咲歌碑

碑文

「いわのなる沼の水乃面に白くものうつろうみればそぞろさびしき 夕咲」

説明

 昭和29年(1954)4月、飛騨短歌会と飛騨ニュース社が、市内上野町にあった「鹿の湯」前庭の通路にこの福田夕咲の歌碑を建てた。その後「鹿の湯」は廃業し、建物を取り壊して宅地に造成するため、夕咲の歌碑は撤去されていたが、平成23年(2011)8月10日、短歌会「萌木会」から移設費用の一部の寄付を得て、社団法人高山市文化協会が、西之一色町の文学散歩道から上野の丘陵が望める、この場所に移設し、高山市へ寄贈した。

人物

【福田夕咲(ふくだゆうさく)】
 明治19年(1886)3月12日生~昭和23年(1948)4月26日没
 詩人・歌人。高山市大新町一の人。吉郎兵衛(敦雄)の四男。本名は有作。斐太中学、早稲田大学文学部卒。
 学生時代から人見東明、相馬御風らと交わって「自由詩社」を創設。明治42年(1909)読売新聞社に入社して北原白秋、若山牧水らと詩壇の新運動に参加。家庭の事情で大正3年(1914)帰郷。瀧井孝作らとの『ツチグモ』の創刊、(大3(1914))『飛騨新聞』創刊(昭和22(1947))を始め山百合詩社、飛騨山刀倶楽部、飛騨短歌会などを育てて飛騨の文化に大きな足跡を残した。その才能から、飛騨という田舎にこもるのを惜しむ声もあった。
 昭和17年(1942)高山食品卸市場が設立され常務取締役。詩集『春の夢』、歌集『山花一束』『山づと』。