| 2003/04/04 更新(広報第81号より)
中国滞在記6(最終回) 見聞あれこれ その三 桐 山 吾 朗
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中国滞在記6(最終回)見聞あれこれ その三 桐 山 吾 朗
〔漢字文化の差異〕
同じ漢字文化の国同士だから、中国語の文章の内容は大体把握できるだろう、などとお考えの向きがあるかもしれない。私自身も、長年、国語教師として漢詩文を講じて来た経歴から、ある程度の自負はあったが、これはとんでもない思いあがりで、中国の新聞など見ても、何が書かれているのかさっぱりわからないことが多かった。勤務した大学の校内に、学生に向けたスローガンや連絡を掲示する場所があり、内容をくみ取ろうと時々のぞいて見たが、容易には判読できず、教え子の学生が、「老師、中国語ハ難シイネ」と笑いながら近づいてきて邦訳してくれるのに助けられて、ようやく理解できたものである。
中国語の文章を読解困難にしている最大の理由は、日本では使用しない漢字が多く出てくることにある。新中国以降の漢字改革によって、字体の簡略化が進められたが、これは、日本の新字体の比ではないほど大規模かつ大胆なもので、その新しい字体を「簡体字」と呼んでいる。漢字においては分家である日本の方が、まだ旧来の繁体字を大事に守っていると言えるのではないかと思えるくらいである。
中国に渡ってすぐのこと、街を走るバスの車体に「主」という記号が書かれてあり、まさか櫛団子の広告では…と思いながら尋ねると、何の宣伝かは不明だが、「豊」という字であることがわかった。推察するに原字「豐」の一部を採ったものと思われ、日本の新字体の上をゆく発想に驚いたものである。 ちなみに、次に挙げる簡体字は、日本のどの字に相当するか挑戦してみられてはいかが。

答えは以下の通りで 1習 2児 3郷 4楽 5 書 6節 7術 8業 9歳 10遠
これらのほとんどが、部首の一部や草書体などに準拠したものであることがわかる。この国では仮名がなく、全て漢字による表記をする事情から考えて、これらの簡略化は必須の方向であったろうと思われる。
簡体字に加えて、日本では全く見ることのない漢字も相当ある上に、さらに、日本と同じ表記ながら別な意味を持つ語句があって、中国文の読解をいっそう困難にしている。「弥音声太小、听不清楚。」という文において、下線部を通常の日本語の意味に取っては文意が通らない。これは、「あなたの話す声が小さ過ぎて、 はっきり聞こえない。」の意で、同種の代表的な例を挙げると、「愛人(つれあい)」「汽車(自動車)」「大家(皆さん)」「打算(〜するつもり)」「告訴(知らせる)」などなど、枚挙にいとまがない。日本人の観光客が「便所」を尋ねたところ、郵便局に案内されたとか、中国からの留学生が「湯(スープ)」を所望したら銭湯に連れて行かれたとかいう話は、同音ならぬ同字異義からくる悲喜劇である。
 一方、中国では、外来語は意訳をして導入するのが原則で、「菜譜」(メニュー)、「足球」(サッカー)「申脳」(コンピュータ)「互聯網」(インターネット)、など、日本では完全に片仮名表記をする語群でも、かたくなに自国語の範疇で言い換えをしようという方針である。が、さすがに固有名詞やポピュラーな語については、そのままの読み方については、そのままの読み方に同音の漢字を当てた表記をするようで、「倫敦」(ロンドン=このような国名・都市名の中国式表記は、終戦までのわが国も使用していた)、「布什」(フセイン)、「伊妹儿」(Eメール)、「可口可禾」(コカコーラ)などはその例である。
日本語を学習する場合、難関の一つに外来語の習得があることは、学生たちからよく耳にしたことであったが、改めて私たちの生活の回りを見てみると、片仮名語が氾濫している現状に気づかされるのである。
※※※
さて、ささやかな日本語教師の体験をもとに、中国滞在記を本紙に連載してきたが、この種の話には「賞味期限」なるものがあろうと考え、今号を最終回とすることにした。断片的な比較文化論に終始したことをお許し願うとともに、掲載にご尽力下さった編集部、根気にお読みいただいた読者諸兄姉に感謝しつつ筆を擱きたい。再見!
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