バックナンバー(広報第80号)

 2003/01/10 更新(広報第80号より)  市長と語る会 文化の振興を願って

11月8日、文化協会主催による「市長と語る会」が行われました。高山市からは土野市長、森瀬教育長ほか3人、文化協会からは小鳥会長ほか5人が出席し、高山の文化振興をめぐって熱心な話し合いが行われました。以下はその要点です。

1.「高山文化伝承館」について

文化協会:かねて要望していた高山文化伝承館の早期実現をお願いしたい。
高山市:建設土地も全部取得した。寄付金も、文化協会からの500万円を含め、6000万円近い金額が集まり、早期建設を目指していたが、その後の調査で、建設予定地が法令上の制限があることがわかった。それで都市計画区域の見直しをしなければならないが、次の見直しは平成16年度になる。それで、来年度に調査費を計上し、平成16年着工という方向で検討していきたい。


2.生涯学習センター(文学資料館)について

文化協会:生涯学習センターのアウトラインと、管理・運営をどのようにするのか聞きたい。
高山市:生涯学習センターは、平成16年1月完成、4月オープンの予定で、そこに近代文学資料館と収蔵庫も併設の予定である。
 今後は資料収集に力を入れる。
 瀧井孝作の資料は年内に遺族からの受領を実現させたい。寄贈物品のリストはいただいており、調査をして送るという了解を得ている。
 江馬修については郷土館長を介して岡山県在住の天児さんより資料の寄贈をお願いしている。
 いずれも、早期に受領し、資料の調査、説明板の製作に着手したい。そのほか、飛騨の文学を支えてきた有名・無名の人々の資料の展示のスペースも確保している。
 こうした資料の調査、収集、展示等の手法等に関しても、協会、有識者の協力を得て方針を定め、早い時期に体制づくりと作業を進めたい。参考までに、古川町の「早船ちよ資料館」は5名のボランティアで3カ月くらい調査にかかったと聞く。高山市もそれ以上の対応が必要だろう。
文化協会:有名人は記録もデータもあるが、飛騨の文学を支えてきた無名の人々の資料も時間をかけて収集し、その手のあと、足跡がわかるように進めてほしい。施設の管理・運営の方法については?
高山市:その方針については、庁議にかけての話だが、全体的には委託の方向で対応したい。


3.自主事業について

文化協会:当協会としては、来年度三本の自主事業を計画しているが受託できるよう要望したい。
高山市:予算のからみもある。高山らしい文化の創造をめざし、行政の行う文化振興の施策と、文化協会の事業のすり合わせを考えながら対応していきたい。


4:その他について

文化協会:県美術館のリニューアルに伴い、美術作品が飛騨・世界生活文化センターに一時保管されることになったと聞く。この機会に、美術館の分館などとして高山市で展示できるようにできないか。また、県歴史資料館にある高山陣屋文書を高山へ戻し、閲覧・研究ができるようにという計画はどうなっているか。
高山市:県の美術作品については県も企画展を計画しているが、その狭間で市民に展示してほしいと要望している。
 陣屋文書については、陣屋に収蔵庫が造れないので、飛騨センターに保管して陣屋で展示をするという提案をしていた。高山にもってくることの早期実現を望んでいる。

 2003/01/10 更新(広報第80号より)  文化功労顕彰の皆さん


坪内吉郎(喜智老栄) 大正7年5月5日生
永年に亘り地域民謡の研鑚に努められ、坪内流坪内会を創立、家元として多くの後進の指導にあたると共にその発展に尽くされた功績。













加藤妙子 (徳山藤泉)
昭和12年6月29日生
永年に亘り現代津軽三味線の研鑚に努められ、徳山流の師範として後進の指導にあたると共にその発展につくされた功績。













小林 浩
昭和18年1月29日生
永年に亘り社団法人高山市文化協会役員として、その発展に尽くされた功績。
 2003/01/10 更新(広報第80号より)  生涯学習センター内に「近代文学資料館」が併設


平成16年春オープン
 馬場町の旧市役所跡地に「生涯学習センター」が建設されることになり、平成16年4月のオープンを目指して工事が始まります。
 新しい施設は図書館を中核とした学習施設ですが、その中には「近代文学資料館(仮称)」が併設されることになっています。
 資料館の面積は約230平方メートルで、瀧井孝作・江馬修・福田夕咲・早船ちよなど、郷土が生んだ偉大な文学者に関連した貴重な図書や資料などが数多く展示される予定です。また、瀧井孝作の書斎が原寸大で復元されることになっています。
 この資料館が完成することによって、より多くの方が文学に触れていただけるものと期待されています。
 次世代を担う若い人たちが、高山の文学や歴史・民俗などを知ることは、郷土愛を育むという点からも大切なことといえるでしょう。来年春の開館が今から楽しみです。
 2003/01/10 更新(広報第80号より)  高山の文化を築いた人々19


短歌文学ひとすじに 鎌手白映 川上喜美

本名鎌手隆三、斐太中学時代(26回生)より文学を好み、短歌作品には「白映」、書・画・篆刻には「古渓」と号した。
 作家年代を明治・大正と順に配列すると、斐太短歌会、山百合、静なる餐宴、斐陀、裸形(現代歌壇系統図参照)と歌作と編輯を続け、戦中中止を余儀なくされた一時期があったが、戦後に到って飛騨短歌会を結成し、後輩の指導に専心する。また、岐阜日日新聞社歌壇の選者を勤め、ひと頃斐太高校に於いて国語と書道の講師として勤務した。
 歌集は「素描」「黄昏の丘」「夕映」「白映遺歌集」がある。そのうちの第三歌集の題名は、生前福田夕咲さまとの約束で、お互いの雅号を一字ずつ持ち寄って“夕映”としたらよかろうと決めてあったと聞いている。
 明治生まれの一徹は、中央歌壇におもねる事なく、あくまでも確とふるさとの地に足を構え、作家に対峙した人であった。
その証拠は左の歌の
ひとはひとわれはわれなりとにかくにわがゆくみちをわれはゆくなり 白映 」の一首に、はっきりと表れている。
 口数の少ない人で、よくあれで商売をして来られたと、娘の私でさえ思った事であったが、大家族を支えるのに、進学もあきらめ家業に従事するより外はなかったようである。

 たまに瀧井孝作さまが高山へおいでになると、父を尋ねて下さり、小半日実家の座敷で父と一献されるのが常であった。孝作さまと共に在る時、父は饒舌で呵呵と笑い合う一面もあった。絵は刷毛を用いた大胆な勢いのある画から、細筆を使った緻密な絵まで画いたが、後年高齢者展等へは主に細筆書の掛軸画を出していた。夕咲さまの絵に父が讃を書いたり、父の絵に夕咲さまが讃を入れてくださった軸が沢山ある筈である。私が貰った軸は家の土蔵を毀した折、保管に自信がなかったので、他の物と一緒に郷土館に納めた。
 篆書は大篆書も小篆も書き、娘の私が言うのはおかしいが、特に篆刻は秀でていたと思う。私も真似事をしようと思った事があった。その折“定まった道具で彫っては味が出ない”と、五寸釘と印材を与えてくれた。白映遺歌集を編む折に、表紙の見出しと見送りに篆刻印作品の一部を沢山使わせて貰った。
 短歌評は、私がものを申すのはおこがましいので、孝作さまのお言葉をお借りする事にする。『この頃の飛騨短歌では、鎌手白映の歌のうまいのが目につきます。それは美しい気分の濃い出来栄えで、事物をぢっと見詰めた詠みぶりで、うまい言葉を丹念に選んで、錬磨して、いつも歌の言葉が口中で千転して、凡そ日常の行往坐臥に歌ごころのある円熟の歌人の感じです。…中略…この人の係譜は昔の新古今の流麗も汲んで、また先輩では北原白秋、福田夕咲などの耽美の流れもあるのでしょうが、この人の円熟は、今日の歌壇では、どこへ出しても恥ずかしくない一家を成した歌人ではないかと考えられます。
 鎌手白映讃   瀧井孝作』
 歌碑は上野平殿の辻に建つ。
碑面は、
 のりくらは天のたか山夕焼て
 ただれて燃えて空に消えたり
          白映

 昭和53年2月2日、84歳の生涯を全うした数日前の絶筆である。(筆者は白映の娘)
 2003/01/10 更新(広報第80号より)  華麗なショーに魅了


「エンリケ・クッティーニ楽団タンゴ・エモーション」
 文化振興自主事業として、「エンリケ・クッティーニ楽団 タンゴ・エモーション」を平成14年11月26日に、市民文化会館で開催しました。
 華やかなステージ、なじみ深いメロディと情熱的なリズム。会場はほぼ満席となり、聴衆の皆さんは、ムードいっぱいの魅惑的なひとときを十分に堪能されました。
 2003/01/10 更新(広報第80号より)  郷土が生んだ女流画家「村田瑞枝展」


その魅力にひきこまれました
 平成14年10月12日から3日間、市民文化会館で「村田瑞枝展」を開催しました。延べ1061名の方が来場され、大盛況のうちに終わることができました。
 温かく優しさのこもった作品にふれ、穏やかな気持ちをいだかれた方も多かったのではないでしょうか。あらためて、深く豊かな味わいを持つ作品に心がひかれました。
 文化協会では、今後も皆様に感動していただける展覧会を企画していきたいと思います。
 また、開催期間中、「高山市文化伝承館」建設資金のための募金をお願いしましたところ、皆さんから計28,011円の御協力をいただきました。誠にありがとうございました。